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正解へのコラム

良い「お見合い写真」って何だ!

<はじめに写真がある>

 「お見合い」というステージでは、社会生活に関する諸条件や経歴が予め明示され、その人となりはお会いしてからという事になりますが、ヴィジュアル社会といわれる現代では、初めの出会いのきっかけとなる「お見合写真」の役割が非常に重要なものになっています。実際のご歓談であればお互いのパーソナリティーやメンタリティーなどの、動的な印象が評価の対象となり、単なるルックスなどの「見た目」は必ずしも最重要ではありません。
しかし、写真は静止していますので、まじまじと、また何度も、場合によっては色々な人たちに眺められ吟味される事になります。そしてここをクリアしなければ次に進めないという状況が出来しているのです。

<良い「お見合い写真」とは>

 このことには、お見合いという制度そのものの変貌が背景にあります。ことに現代の都会では、インティマシーを持った月下氷人(仲人)がお二人の間に立つケースは減少しており、義理と人情のしがらみから自由な、結婚情報産業を利用する人々が増えて来たのです。「お見合い」から「マッチング」へ、多数のプロフィールの中から、まずは見た目の印象によって、より良いパートナー候補を選ぶという作業は、「出会い」のきっかけを提供する結婚情報産業の定着と共に、非常に一般的になりつつあるのです。

では、良い「お見合い写真」とはどのようなものでしょうか。写真館にはどこでも「お見合い写真」を撮影するコースがあるはずです。かなり高額な撮影料を請求する有名写真館もありますが、お金をかければ良いお見合い写真が撮れるかと言えば、必ずしもそうではないのです。何故でしょうか。それは十年一日になりがちな大多数の写真館は、時代の流れから取り残されているケースが多いからです。さらにその写真によってどのようにアピールするべきか、またその写真がどのようにアピールするのかを洞察する感性と技術とを欠いている場合が多いからです。
しばしばご家族や友人の撮った写真の方が、職業的写真館で撮影した写真よりも良い場合があります。何故かと言うと、それは自然な表情が捉えられているからなのです。観る人の感情機能を動かすのは一にかかって表情なのです。ですから初対面のカメラマンによる撮影で、緊張のあまり、引きつった表情で写ってしまうのであれば、親しい人に写してもらう方がましかも知れません。
とは言っても、技術が無く、注意が足りないために、残念な結果になってしまった写真が非常に多いのも事実です。ブレたりボケたりは論外としても、だらしない姿勢や垢抜けない服装になってしまったり、顔に醜い影が出てしまったり、不吉な象徴が写りこんでしまったり、雑多な汚い背景のために未来への明るい希望が破壊されている、あるいは父親や母親と喧嘩しながら撮ったのでやる気のない酷い表情になってしまった、というような負のイメージが際立つお写真を、私は数多く拝見して来ました。一般的に言えばやはりプロにお願いした方が無難でしょう。

 長年人物写真を撮影し、多くの「お見合写真」を撮影してきた経験から言うと、被写体の良し悪しにかかわらず、多くの人に好まれ、「評判の良いお見合い写真」と言うものが確かに存在します。しかし、それもずいぶん昔とは様変わりしてきたというのが、素直な感想です。つまり「一般に好まれるお見合い写真」にも時代の流れというものがあるのです。当スタジオはもともとコマーシャルを手がけていましたので、そういった時代の変化には敏感に対応する事ができた訳ですし、クライアントの要請に合わせて効果的にプレゼンするメソッドをアプリオリに所有していたのだと言えましょう。

 では次に、簡単にお見合い写真の変遷をたどってみましょう。それは概ね、次のようなものです。

<旧世代のお見合写真>

 旧タイプを第一世代とすれば、それはいわゆる写真館の写真。重厚な背景、装飾的な家具、多少気取ったポーズ、無表情あるいはお澄まし顔。いわゆる写真館の記念写真です。こういった写真が見合い写真として無難であった時代が、かつて存在しました。勿論、今でも、台紙に入った「お写真」が相手方に届き、両親だけでなく何世代かに渡って吟味される場合、そして、旧世代の意見が尊重される環境にある場合のみ、この旧世代の見合い写真も出る幕があると言えるのかも知れません。

 しかし、このタイプの見合い写真はもう古いのです。人間的な魅力に乏しく、積極的にお会いしたいという気持ちにもならない、親しみがわかない不自然なステレオタイプ(杓子定規)の型写真だからです。写真がさほど重要な情報でなかった時代はそれで良かったのでしょう。しかし自然な個性が評価され、しかもヴィジュアルが重視される現代では、もっと自分自身を積極的に、写真によってプレゼンする必要があるのです。

 さらにパソコンやスマートフォンが普及した昨今では、1枚1枚、台紙に入った経歴書の写真をじっくり見るのではなく、多くの画像をモニター上で短時間のうちに見比べるシステムが普及しています。そうなると、よりインパクトがあり、華のある写真、何かプラスアルファーの感じられる写真でないとアピールしにくいのです。

<新世代のお見合写真>

 ここに第二世代のお見合い写真が登場しました。これについては弊社の基幹スタジオである「スタジオ☆ディーバ」が、わが国のお見合い写真の進化に先鞭をつけてきました。明るく活動的なライティングと単色の背景、自然な表情でポジティブな笑顔。あるいは、タレントの撮影で培った技術による、個性を引き出しつつ、自然で、水際立ったスナップ写真。良い「お見合い写真」はまず良いポートレートであって、表情も、シチュエーションを含めた雰囲気も、生き生きと明るく見えるものです。

ほとんどの方が経歴書には「明るく楽しい家庭を築きたい」と書かれますが、そこに暗く怖い写真が付いていたら台無しです。百聞は一見に如かずといいますが、一枚の写真は百の文章よりも雄弁です。そして、「お見合い写真」はルポルタージュではなくコマーシャルだと割り切っていただきたいのです。実際は暗く後ろ向きの方でも、そんな写真でプレゼンしてはいけません。その人であることが判れば良いだろう、などと思っているとしたら、とんでも無い間違いです。相手の方に、好印象を与える事は勿論、明るくしっかりとした未来を予見させる、そんなプラスのイメージを含んだ写真が必要なのです。

そのためには、洗練されたセンスと常識とを絶妙にアレンジしつつ衣裳をコーディネートし、その方の良い個性を引き立てるヘアメイクを考え、緊張を和らげるような楽しい環境のもとで、しかし撮影する側は想像力を働かせてコミュニケーションの結果をフィードバックしながら、細心の注意を払って、加えて撮られる方が疲れないよう短時間で要領よく撮影しなければならないのです。それがアマチュアとは一線を画するプロの仕事です。

今は学生たちも就職において、撮影スタジオで気合の入った履歴書写真を撮影する時代です。まして結婚となれば一生の大事ですから偶然の幸運を当てにするのではなく、写真にも細心の注意と最大限の努力を払っていただきたいのです。きっかけは最大限に、間口は広く、あとはご本人のパーソナリティーとメンタリティーが勝負です。そこまで導くのが私たちプロフェッショナルの使命なのだと考えています。

<ニューウエーブは絶滅危惧種?>

 携帯電話の普及と共に、携帯電話の画面でデータや画像のやり取りをする結婚情報産業が増えました。そうすると、これは完全に本人同士のやり取りとなりますので、両親や祖父母が相手の画像等を見てダメ出しをする事がもはやありません。あくまでも核家族化の延長としての個人主義的自由主義にのっとった自分本位の選択となります。その過程である現象が生まれました。
特に初期の携帯電話では画面が小さいので、使用する写真は殆ど顔のアップ、画像精度が悪いのでメイクは異常にケバく、肩や手を画面に入れて甘えのポーズでセクシーにアピール。修正はしまくりで骨格も別人。女性の写真は、まるでキャバクラ用の写真のよう。そんなお見合い写真をかつてはよく見かけたものです。これを私は「ニューウエーブのお見合い写真」と呼んでおりました。

ところが、この種は定向進化の末、進化の袋小路に陥って行ったようです。つまり今ではほとんど滅び去っているように見えます。元来わが国では、結婚という事に対するまじめな考えがベースにあり、さらに東日本大震災を始め、何度かの天災を経験して来たのです。やはり結婚には、互いをパートナーとして認め合いながら、互いに進化していく、という可能性が必要なのではないでしょうか。キャバ嬢の写真では現在は在っても未来は無いのです。
私達はその人らしさを大切にし、修正は最小に止めたいと思っておりますし、結婚を前提とした出会いのための写真では、健康的で明るく清潔というイメージを逸脱してしまうような過度のセクシーさは慎むべきだと考えております。

<どこで撮るんだ「お見合い写真」>

 それではお見合い写真はどのようなスタジオで撮るべきでしょうか。

 現在、多くのお見合い写真が、第二世代のテイストに倣うようになり、私たちが作り上げた「新世代のお見合い写真」に追随しようとする写真スタジオが多く出てきました。しかし、ただ形ばかりまねて見ても本当に良いものはできません。
私たちはお客様の個性を生かすメソッドを持ち、さらに社会的な要請やその方の未来へのヴィジョンに応じて撮影してゆく想像力と技術力とを持ち、誠心誠意結果にコミットしております。ですから例えば男性の場合は、この方の場合はより誠実さとか、安定感だとかを表現しよう、そうすれば彼の理想とする平穏さを求める「家庭的な」女性の評価が高いだろう、あるいはこの方の場合は生活力とかバイタリティー、そういったものをアピールした方が、打ち続く海外駐在も厭わずに同行してくれるような「活発な好奇心のある」女性の支持を受けるだろう、そういう事をお客様とのコミュニケーションの中で考え、そのプレゼンに沿ったヘアメイクをし、撮影をするのです。これがコマーシャルの方法なのです。勿論、女性の場合も同様の方法論です。
しかし、逆に、求められる女性のイメージに関して言いますと、社会情勢に影響される部分がかなり大きいように感じています。たとえば大きな震災がありますと、その後かなりの期間は「絆」のコンセプトのもと、清楚で家庭的な女性のイメージが求められて行きます。いざという時に、どこにいるのか判らないような女性では困るという心理です。連れて歩きたくなるような華やかな女性のイメージはもはやお呼びでは無くなります。
このように撮影する側が、社会生活の中でその方をプレゼンするというコンセプトを持ち、時代の流れを読む感性と技術とを持ち、誠意をもって撮影に当たるならば、最高の「お見合い写真」が成就する事でしょう。ですから皆様にはそんな写真スタジオでお見合い写真を撮る事をお勧めいたします。

<「千駄木スタジオ」へいらして見ませんか>

 弊社運営の「千駄木スタジオ」も「テンスタジオ」も、ディーバが嚆矢を放った理想的なお見合い写真のエッセンスを受け継ぎ、現在ではこれらのスタジオが、このCM風の「新世代のお見合い写真」の正統な継承者となっています。特に「千駄木スタジオ」はトータルコーディネートを特長とするハイクオリティーなポートレートを提供するスタジオです。ここでは、常にベテランのヘアメイクが撮影に立会います。衣装のコーディネート、ヘアメイク、スキルの豊富なカメラマンによる撮影がセットになっていますので、安心してお任せいただけます。その方の個性を尊重しつつ、清楚な美しさを、あるいは楽しい親しみやすさを、時には頼もしさを、そして優しさを演出していく事ができるでしょう。ここで個性を尊重すると言う事の意味は、その方の中に元々あったものを引き出して、プラスのイメージとして表現するという事。「ルポルタージュでは無くコマーシャル」だとは言っても、決して嘘のイメージではないのです。

「テンスタジオ」は少しカジュアルなスタイルのスタジオとなります。

私達としては勿論「千駄木スタジオ」にいらしていただきたい訳ですが、地理的な理由や時間の折り合わない場合もあるでしょうし、地元にも良いスタジオがあるかも知れません。評判や見本写真を見て、電話の対応の様子や明確なコンセプトがあるか (お見合い写真と普通のポートレートはどう違うかなど)、また、「常識のある」ベテランのヘアメイクが立ち会うのか、などを尋ねたりして調べてみてはいかがでしょうか。どうせ似たような出来上がりだろうと思っていたら大間違い。どの写真館でも得意分野は異なりますし、新時代のお見合い写真にふさわしい考えや技術のある所を選んで下さい。
それと弊社の「テンスタジオ」で時折見かけるのですが、紹介されたので仕方なく来たが、早く終わって帰りたい、という雰囲気全開の方がいらっしゃいます。しかしそれではもったいないし、良いものはできませんね。最後に一言申し上げたいのですが、写される側としても多少の努力は必要なのです。冒頭で述べましたが写真は非常に重要であり、真剣に取り組んでいただかねばなりません。ばかばかしいと思わず、笑顔の練習をして、衣装にも考えをめぐらす。撮影の前日は呑みすぎない、楽しかった事を思い返して撮影時にその気分を再現できるようにする・・・あとは心を無にしてプロフェッショナルにお任せ下さい。

 さて、今回はいわば「至高のお見合い写真」について日頃考えている事をざっと書いてみました。多少は参考になりましたでしょうか。
では・・グッドラック!

良い選挙ポスターとは? 政治家の撮影について

先日、選挙ポスターの撮影について、読売新聞の取材を受けました。その時の記者は都議会の担当だそうで、来る選挙のために、候補者達がポスターの写真撮影に励んでいる中で、スタジオ☆ディーバが大変評判になっていると報告してくれました。その出来栄えが「別人に見える」位に素晴しいので、特にこれまで「写真写りの不自由」だった人達の「駆け込み寺」的存在になっていると言う事です。確かに、国選・地方選に限らず、スタジオ☆ディーバにも、政治家の方々、それを目指す方々が、本当に多くいらっしゃるようになりました。
今回はこの機に、「良い選挙ポスターとは何か?」-政治家の肖像を撮影する事― に関して、日ごろ考えている事や、今回取材を受けて思った点などを含め、少々述べてみたいと思います。
勿論、代理店が間に入り、例えば対立候補とは異なるイメージ戦略で行くとか、撮影時のコンセプトがすでに明確であれば、私も原則としてそれに沿って撮影していきます。しかし、殆どの場合、イメージもデザインも、出来た写真による「成り行き」という事が多く、そうなると、カメラマンの撮影コンセプトは非常に重要となって来るはずです。私の考える理想の選挙ポスター写真とは・・・

①「驕らず卑しからず」、転じて 「心貧しく、しかも毅然とあれ!」

まず基本的に、庶民の目線に欠けるようなイメージですと、大多数の有権者からはオミットされてしまうでしょう。特に女性候補の場合、華美になりすぎる衣装やアクセサリーは避けるべきです。あまり偉そうに見えるポーズも好ましくありません。もっとも公約が「王政復古による民主主義打倒!」とか「富裕層のための階級社会の徹底」とかですと、この限りではありませんが。
一方、みすぼらしいのもいただけません。「ボロは着てても心は錦」とは言いますが、表に出る職業の人は、身だしなみも人格のうちです。まして卑しい雰囲気を醸している候補者には、あまり期待が集まらないのではないでしょうか。
つまり、偉ぶってはいけないが、どこか清潔感というか立派なイメージが必要です。
当たり前の事だと思うかも知れませんが、これは実は、大変本質的な問題です。少し掘り下げて言いますと、医者、弁護士、その他社会の指導的立場にある人は、底辺の人々にも共感できる能力を持つと同時に、一般の衆生とは毅然と一線を画して、人々を導く何らかのスペシャリテが必要だと思うのです。少なくともそうあるべきだと、私は思っています。
例えば人類の救い主・メシアとして出現したイエスの家系は、殺人者あり、泥棒ありの、罪にまみれたご先祖達ですが、しかも同時に、イエス自身は処女懐胎により、通常の人間とは一線を画して出現したというのです。かくして共感と超越、救いと裁きのベクトルが十字架を形成するという、これは北森嘉蔵先生の「神の痛みの神学」の原点だと思うのですが、政治家にも同じ十字架が課せられていると思うのです。この際、裁きについてはいったん置くとして、この超越がなければ人を救う事はできないという点が大切です。そうでなければ「同じ傷をなめあう」という段階でとどまってしまうでしょう。

②知情意+α

ノブレス・オブリージュ(ノブリス・オブリッジ)という言葉があります。「高貴なる義務」と訳されますが、解りやすく言えば「高い地位に由来する当然の義務」という事だと思います。これについては作家の塩野七生さんが、かつてのベネチアの千年史で、その独特な共和制の物語の中で、生き生きと、しかも分かりやすく描いてくれました。当時は貴族がそうだったのですが、要するに生活に余裕のある者達が、 政争や利権とは無縁に、共同体のために進んで奉仕するというモラル、また、そのようにして負うべき政治的ボランティアを意味したそうです。
民主主義の現代では、私はさらに経済的・社会的地位の高さではなく(そういう場合も依然存在しますが、選挙にお金が掛かりすぎるという問題を何とかしないと)、個人的な資質の高さに注目したいと思います。では、その資質とは何かと言いますと、誤解を避けずに非常に単純に言えば、「知情意+α」ではないかと思っています。
即ち、衆に秀で、混迷の世を正しく導く知性。
また弱者を救う心情、庶民の目線で共感し、未来に向かって共に歩む心。
さらに意志。不正・不公平を許さず、決然と改革を実行する意志、さらに行動力を含めます。
私たちはそんな「知情意」を求め、撮影では、少なくともそのいずれかの片鱗を表現したいと思っています。
そして最後に「+α」ですが、これは一種の感性といいますか、ある種の洗練というものだと考えています。政治は元来、マツリゴト、選挙はお祭りですから、選挙のポスターにも、どこか「ハレ」の感じが欲しいのです。それが若さ、清新さ、爽やかさだったり、またバイタリティーだったり、インパクトが強いと言う表現になることもあるでしょう。要するに何か「輝くもの」と言うのでしょうか、そういうものが欲しいと思うのです。
知情意のいずれかでスペシャリテが感じられ、さらに「ハレ」が表現された政治家の写真、私たちはそんな肖像を求め、日々精進しているつもりです。
以上述べた事、これらは全て総論です。では、そのために具体的にどう撮影するのか、と言う部分が各論と言う事になります。ここは、ディーバでもフィードバックを重ね、日々精進している部分です。衣装のコーディネート、ヘアメイク、ライティングやポーズなど。この各論の方が皆さんには面白いと思うのですが・・・今のところ企業秘密もありますので、いずれまたの機会に・・・

③選挙は公約よりも見た目?(政治家と写真との関係)

前記の新聞記事は「選挙は公約より見た目?」と問いかけ、ポスターのイメージ効果が得票率アップに結びつく事から、候補者達は公約よりも写真写りに汲々としていると断じ、「見た目九割の法則」の著者の「後で本人とポスターとの間に大きなずれを感じると、有権者は裏切られたと思うのではないか」という言葉で結んでいます。
そうなると、スタジオ☆ディーバも、有権者を騙す片棒を担いでいるのではないか、と言われそうな気がしてきます。
しかし良く考えてみましょう。

政治家の公約は必ず実現されるのでしょうか、否、むしろ世の中にはその反対事例に満ち満ちていると思います。選挙前は口当たりの良い事ばかりを言う。実際、選挙が終わると、あれっ、約束が違うなあ、どうなったの、という事が結構あるもの。では、その場合はどうでしょう。「後で本人の言動と公約との間に大きなずれを感じたとしても、有権者は裏切られたと思わない」、とでも言うのでしょうか。いや、強く思いますよね。
言葉は実態のない「彼方の園」から降ってきます。何とでも言えるのです。しかし、写真はそうは行きません。そこに写っているものは、そこにある素材以外のものではないのです。ディーバでは原則として修整をしていません。ディーバで撮影した方々は、撮影時に確かに輝いているのです。党利党略や、保身のための苦し紛れの公約よりも、余程真実だとは思いませんか?
私たちは、その人が本来持っているよいものを引き出し、増幅し、「ハレやか」なポートレートに定着するお手伝いをしているのに過ぎません。
また日本には、姿を整えることによって心が宿るという「風姿花伝」の伝統があります。たとえ迷いや不安の中にあった方でも、それらを払拭し、自信を持って、来るべき明るい未来のヴィジョンを、描いて欲しいと思っております。すばらしい政治家の肖像があるのですから(自画自賛で申し訳ありません)。少なくともディーバに撮影にいらした方々は、皆、人物であったし、私は衷心より応援しております。

④余談:「王様の撮影スタジオ」

カメラの前に人は皆平等です。何か悪しきものを隠蔽しようとしても、心は表に顕れるもの。ごまかす事はできません。原則的に、どなたでもよく写るためには、心を善くしていただかねばなりません(あくまで原則的に・・・写真写りの良し悪しについては別の項でお話する予定です)。その意味で、カメラの前に人は皆平等であると言えます。さらに、スタジオ☆ディーバは、撮影についてもお客様はみな平等だと思っております。
過日、さる大臣の秘書から電話が入りました。「これから大臣が行くからスタジオを全て空けて待っておれ」という趣旨の電話でしたが、少々横柄な感じです。多分急いでいたのだと思いますが。その時は「一般の方の予約が入っていますので、普通に予約をとってお越し下さい」と言ってお断りしました。実際その通りだったのですが、人間の尊厳に寡多は無いというのがディーバのモットーです。
三谷幸喜さんのドラマで「王様のレストラン」というのがあります(山口智子さんgood!)。先日、そのDVDを見ていたのですが、松本幸四郎さん扮する伝説のギャルソンに「お客様はみな王様です。料理の前に人は皆平等です。」という台詞がありました。ある時、公務で使用したそのレストランを大臣が気に入り、秘書が大臣のために予約を入れようとします。指定の日の午後、貸切にしておくように、と言いますが、あいにく一般のお客様の予約が一組入っていました。それは大臣のガードマンが家族と来たいと思って、大臣より一足早く予約してしまったのです。伝説のギャルソンは「お断りするしかありません」と言います。秘書は気色ばんで「自分が何を言っているのか分かっているのか」と。
これを見ていて、事実はドラマよりも奇、いや、ドラマと同じくらい奇だなと感じ、思わず笑ってしまった訳です。もっとも、スタジオ☆ディーバには、タレントさんや女優の方、有名な文化人の方々も訪れますので、ファンサービスを強いられ、撮影に差し障りが出てしまう事もあるもので、スタジオの一つを貸切にする事ができるようになっています。それでも、予約は一般の方と同様に入れていただいており、他の方をキックアウトする事は決してありません。

これは、「スタジオ☆ディーバ」のヘアメイクや撮影に対する所信、基本態度についての表明ですが、さて、実際の撮影の現場となると、かなり苦戦したり、冷や汗をかいたりした事も多々あります。身内意識もあるのか、楽屋落ちというべきか、スタジオの中にはいろいろな「機密」情報が飛び交うのですが・・・・まあ、「それはまた、別の話」。

差し支えの無いエピソードは、スタッフブログの方に書きますので、興味のある方はそちらをどうぞご覧下さい。最後に現在の、また「これからのポ

⑤終わりに:今後の傾向は二極化か

以前、3年以上前になりますか、TBSの番組がスタジオ☆ディーバに取材に来ました。「当選するポスターを作る」という企画です。貫禄のあるシニアモデルさん達が6人程、実際にディーバに来て、ポスター用に写真を撮影しました。それをデザイナーがポスターに仕上げ、公約は皆同じものにして、見た目で誰に投票するのかを、街頭の人々にアンケートする、という企画です。つまり浮動層の人達が、見た目でどのように判断するのか、という興味深い実験です。ポスター画像は、選挙コーディネーターの意見を参考にしながら、それぞれコンセプトを設定して撮影しました。
「爽やかでよい人そうに」、「穏やかで貫禄ありそう」、「バイタリティーのある感じで」、「ダサイ感じで」とかです。さわやかで洗練されて笑っているやつは1番狙いで作ったものでしたが、狙ったとおり得票を重ねました。しかし、この街頭投票で意外な事が起きました。わかり易く、はずしたバージョンを一つ作ったのですが、これは眼鏡が光っているわ、曲がっているわ、ネクタイも曲がってスーツはサイズがあってないわ、表情も怖いというもので、デザインも古臭くして、スタッフ一同はダントツの最下位を予想していたのです。ところが、いざ蓋を開けてみると、これが何と2位。堂々の2位になりました。どのようにこの結果を放送したのかは忘れてしまったのですが。

画像をご覧下さい。これが1位の写真(セレブクラブ)と僅差の2位の写真(最低新党)です。勿論、公約やデザインは番組のものとは違います。うちで作ったパロディーですので、悪しからず。
考えてみればこの頃から、とにかく笑顔でと言われていたポスター写真の表情が、多少変化してきたと言うか、二極化して来た感じがします。爽やかで清潔で善い人そうなものと、その対極の、強い意思でやる気を現すもの、という感じです。つまり、世界的な傾向かもしれないが、変革、チェンジを求める風潮が背後にあるのかも知れません。強い指導力で現状を変えてもらいたい、というような人々の願いが反映しているのでしょう。これが3年半ほど前ですから、現在はさらにこの流れが加速している事が考えられます。時代と共に価値観も変わってきますし、政局によってはドラスティックに求められる人物像が変化する場合もあります。つまり「よい選挙ポスター」もその表現が変わって来る部分がある訳です。前記したような本質の部分は不変なのですが、テイストについては、十年一日で同じような撮り方をしているわけには行かないのです。
そういった点に柔軟に対応できるのも、CMを手がけてきた「スタジオ☆ディーバ」の強みだと考えています。

そういう訳ですので、この日本を、あるいは地域社会を良くしようという願いを持つ方々、選挙、その他の写真はスタジオ☆ディーバにお任せあれ!撮影料金は有名写真館とは、リアルに言って桁違いに安いのですが、どうか心配しないで下さい。写真は最先端です。

就活ヘアメイクの存在理由

就活に関するNHKの番組に出演したときのことです。女子大生から「大学でアンケートをとったところ半数以上の人が就活でメイクをすることに疑問をもっている。何故、就活でメイクをしなければならないのか。メイクって強要されてまでするものなのか、本来の自分らしさを偽っている気がする」という意見がでました。

私は様々な大学や朝日新聞社の就活セミナーなどで「就活のための自己プロデュース」として、身だしなみやヘアメイクについて講演をしていますが、メイクをすること自体が疑問だという意見や質問は今まで出た事がありませんでした(メイクを極端に嫌がるのは、別の精神的な問題を抱えている傾向が強く、個別のカウンセリングが必要な場合が多い)。逆にメイクで個性を出す方法や、流行のメイクでは何故いけないかという質問が殆どでしたので、このような意見がでるとは思っていませんでした。でもよくよく聞いていると、自分のしたい時に、好きなようにメイクをするのならいいけれど、強要されるのはいやと言うことに突き当たるようです。でも自分の好きなことをする、好きなようにすることが自分らしさを表現することなのでしょうか。それともう一点、不思議に思ったことがありました。ヘアとメイクとは別々なものとして考えていて、就活用に髪を黒く染めたり、一つに縛る事には特段の疑問も持たず当然と考え、強要とは感じていないという点でした。なぜ、ヘアとメイクでそんなに意識の違いがでるのでしょう。そもそも自分らしさとは、いったい何なのでしょうか。ここではこの疑問に答えながら「就活メイク」が必要な理由とポイントを解説したいと思います。

<第一印象は初めの5秒で決まる>

ディーバはもともとコマーシャルの撮影をするスタジオです。コマーシャルでは消費者が思わず手に取りたくなるように、商品イメージをプロデュースしますが、パッケージのデザインが変わっただけで、売り上げが何倍も変わるのはよく言われることです。同じように、身だしなみを整えるだけで、人から見られるイメージも全く変わります。人は出会ってから最初の5~6秒で印象が決まると言われ、しかもその6割以上が視覚、つまり外見に影響されるという心理学者の調査結果があります。そしてその印象は、特別なことが無い限りその後も大きく変わらないと言われています。つまり髪型もメイクも服装も、更には表情や姿勢、目の動きなどの外面的な要素が全て一体となって印象が決まるのであり、ヘアとメイクは別々に考えるものではないのです。そして、何より重要なのは、それを判断するのは自分ではなく、他の人だということです。それも家族や友人ではなく、全くの赤の他人で年代も違う人たちが殆どです。まずその点をよく頭に入れてください。

<学生と社会人の違い>

では学生と社会人の意識はどのように違うのでしょうか。
私は講演のときに例としてコピーをよく取り上げますが、例えば学生の時にコピーを取るのはどんな場合でしょう。試験の前に友達のノートをコピーしたり、レポートを書くときの資料としてコピーをする。そんな場合が多いのではないでしょうか。その場合は「自分の為」のものですから、斜めに曲がっていようと、掠れている部分があろうと、自分が必要なポイントさえコピーされていれば気にもならないし、問題もありません。ですが社会人になってのコピーは全く別です。例えば会議の資料として上司から指示されたり、取引先やお客様にお渡しするものだったりと「他の人の為」のものになります。曲がって原稿が切れたり、掠れたりしていては失礼なだけでなく、資料として成り立たないことさえあるのです。と言うことは、コピー一つをとっても、学生と社会人との違いは、自分の為のものではなく、人が見たときにどう見えるかを意識したものに変わります。つまり学生から社会人になって大きく変わる点は、何事においても「自分のため」から 「周りの人のため」へと心のベクトルがシフトすることです。同じように自分の好きなヘアメイクやファッションは自分が楽しむものですから、社会人としてのベクトルの向きとは異なり、配慮や気配りが足りないことになります。西洋のドレスコードと同様に、社会人は、その場に相応しいか、他の人から見られた時にどう見えるのかを意識したヘアメイクやファッションを心がけることがとても大切です。このように、全ての点において 学生から社会人への意識改革が重要なのです。

<メイクはマナー?>

メイクをするのは「マナーなのか」という質問もありました。確かにマナーの要素は大きいと思います。どちらかといえば日本は個性より調和を重んじる文化です。個を主張するより、周りのことを考えて気配りができる人が「大人」として好まれます。社会人になれば、一つの行動をするために、周りにどれだけ気を配れるか、どう見られているかを気にかけることが大切になるのです。そしてマナーとは、全ての考えや行動の基準が自分にあるのではなく、回りに対して気配りをする事です。仕事の話をするのに、仕事と関係ない事に気を使わせないよう、相手を思いやって行動する。この部分で「マナーとしてのメイク」が必要になります。このように「メイクをする」という行動は同じでも、実は考え方のベクトルの向きが色々とあるのです。「社会人」として必要なのは、人から見て、よい印象かどうかを考えることです。メイクをしなくてはならないのではなく、身だしなみとして外見を整えること、つまり人に不快感を与えず、安心感や信頼感をもたれる印象とはどのようなものかを理解して、自分自身をプロデュースする事が大切なのです。そして、その考えの下に実際のメイクや、髪形があって、それは「マナーとしてのメイク」という事になり、それは「身だしなみ」として、女性に限ってではなく、男性にも必要なものです。

<メイクは企業(相手)に気に入られるため?>

「企業に気にいられる為にメイクをするのはおかしい」との意見もありましたが、これは随分とネガティブな考えです。気に入られる為にではなく、逆に心配や不安を持たせないようにと、気を配ったアグレッシブなメイクをしましょう。前記の通り、第一印象は初めの5秒で決ります。その時に面接官が不安を持てば、どんな立派な自己PRをしても、その不安はなかなか拭えません。逆に第一印象がよければ、自分にとっても無駄な時間とエネルギーを使うことなく、自己アピールに専念できるのです。それにちょっと考えてみてください。そもそも「相手に気に入られるように」と考える事は悪いこと、相手を騙すことなのでしょうか。例えば好きな人とデートする時、誰でも相手の好みを気にするでしょう。それはおかしい事だったり、自分を偽ったりする事でしょうか。
面接でどんなところを見てほしいかを学生達に聞くと、「本来の自分」とか、「自分自身の人間性」という言葉が返ってきますが、では本当の自分って何でしょう。友達の中の自分、両親の前の自分、兄弟、姉妹の中の自分、後輩達の前の先輩、逆に先輩の前の後輩としての自分、彼や彼女の前の自分、それぞれの場面で全部違った自分がいませんか?そしてそれは全部本来の自分であるはずです。
「様々な自分」のどの部分を見せるかが重要なのであって、就活は「働く意欲と熱意」をアピールするものです。その為に自分自身の第一印象をどうプロデュースするかが大切なのです。

<企業が求める人材とは>

では実際に企業はどのような人に入社してほしいと思っているのでしょう。
私はキャリアアドバイザーとしても大学や企業に行っていますので、様々な会社の人事の方とお話することも多いのですが、どの会社でも、欲しいのは「健康的で、明るく、清潔感があって、働く意欲と覚悟がある人が一番」とのことです。実は「健康面や明るさ、清潔感」等は「安心して仕事を任せられるか」と言う点と、意識下でリンクしています。そしてそれは写真を始めとする第一印象で判断されるのです。人が何かを判断するときには無意識の深層心理に負うところも多いのです。
つまり、社会人として一番大切なヘアメイクのコンセプトは、「綺麗」とか、「可愛い」、「かっこいい」という点ではなく、 「その会社の一員として、取引先やお客様の前に安心して出せるか、また社会人として仕事を任せられるか」という点です。就活は社会人への第一歩です。「どんなヘアメイクがどんな象徴的な意味を持って、人から見られるか」を理解することが大切です。
同じく社会への第一歩となる就活の身だしなみも、「綺麗」や「可愛い」、「目が大きい、小さい」などは全く問題ではなく、全体の印象が「安心して人前にだせるか」「しっかり仕事ができそうか」「一緒に仕事がしたいか」という点に尽きるのです。

<なぜ健康的で明るい人?>

「健康的な人」がいいのは当たり前のことです。今日は頭が痛いの、お腹が痛いと会社を休まれていては仕事になりません。営業や打ち合わせに出ても、相手に健康状態などという仕事以外の個人的な問題で、心配をかけるようであれば社会人失格です。仕事には効率性も求められるのです。無駄な時間がかかるということは効率も悪く、経費も余計にかかります。「24時間戦えますか」というCMがありましたが、ホンネを言えば、会社としてはそのくらい働いても元気一杯、強靭な身体の人でなければ困るのです。

「明るい性格」は何事もポジティブに考え、行動しそうに見えます。少しくらい注意されても凹まず、前向きに仕事を進めてくれそうです。注意された人の機嫌のフォローなんて会社はやっていられません。ネガティブな性格でストレスを抱え、健康を害されでもしたら、会社としてはたまりません。ですから接客のあるサービス業は勿論、営業や販売、金融でも明るい人柄のほうが好まれます。それに誰だって「暗い」、「怖い」表情で対応されるより、明るい笑顔のほうが気持ちいいですよね。

「清潔感がある」というのは「だらしなく見えない」、更には「きちんとしている」との方向に連想が進みます。学生は「自分が好きなもの、自分がいいと思うものがベスト。それが自分らしい」と思っていますが、社会人は全く別の基準でその人を見ています。
2年ほど前のある新聞社の面接会場で、男女とも、靴だけポラロイド写真を撮っていたことがあります。靴がよごれていたり、踵が踏み潰された靴をはいている人はいったいどのような印象で見られるでしょう。何となくだらしなくて、いい加減な印象になりませんか? それに比べ、靴までピカピカに磨かれていると、「細かいところまで気の配れる人」との印象を持ちますよね。でも、なぜこんなところを見るのでしょうか。それはその部分を通して、その人の 「行動特性」を見ているのです。日ごろから、細かい点に注意できる人なら、仕事も細かく注意して行うだろうと連想するからです。よごれた靴で駆け込んできたのでは、時間も仕事もギリギリで、何でもいい加減な人、という印象が強調されます。ですから採用担当者からすると、だらしなく見える人は無意識に、信頼できず不安を感じ、不採用となるわけです。
ところで面接では何度お辞儀をすると思いますか。一回の面接で少なくとも4~5回はお辞儀をします。その度に髪を直していたらどうでしょう。それだけでなく、顔にかかった髪を手で直す仕草はどう見えるでしょう。喫茶店などで髪を触りながら飲み物や料理を運んできたら嫌な気分ですよね。その動作は多くの人に不衛生と感じさせ、それが意識下に刷り込まれているので、顔に髪がかかっていると清潔感が感じられなくなるのです。
さらに、小顔に見せるため顔を髪で覆うヘアスタイルが流行ですが、自信のない時や恥ずかしい時、髪で顔を隠すしぐさを無意識に誰でもしますよね。ということは、顔の周りに髪がかかっていると、それだけで自信がないように見えてしまいます。就活は「働く意欲」をアピールしなければならないのに、自信がないようでは逆にマイナスイメージになってしまいます。
最後に就活は「ナチュラルメイク」が基本ですが、実はこれにも理由があります。ナチュラルメイクは肌の中にある色だけでメイクをします。肌の中にある色とは肌の色を中心に陰になる茶色、上気した肌や唇のピンクやオレンジで、全て肌色の同系色でトーンも似ています。色彩学では同系色の配色は心情や内面を表現するものとされています。ですから、ナチュラルメイクは自分を偽ったり、着飾ったりするものでなく、より本来の自分を表現するものなのです。

<最後に>

ところで、このマナーともいえる「就活ヘアメイク」は万国共通の考え方でしょうか。おそらく日本固有のものでしょう。なぜなら、それは日本の文化や国民性とも関係していると思うからです。どちらかといえば日本は個性より調和を重んじる文化で、子供の時から周りと協調することを躾けられます。逆にそれは、家族や学校という「籠」の中で、「調和する」という名目により、社会から守られてきたともいえるのです。全くの「個」として、初めて社会へ飛び出す為の就活は、特に日本において、「大人の社会への通過儀礼」だともいえるでしょう。そしてその中に「就活ヘアメイク」があるのだと私は考えています。そもそも欧米においては協調性よりも、個人の能力を優先して子供を育てますし、社会も実力本位です。日本のように一斉に就活をする事もないので、特別に「就活ヘアメイク」を考える必要はないのです。
「風姿花伝」という世阿弥の書があります。簡単ですが、一言で言えば 「身なりを整えて日々努力すれば、それに相応しい人に成長できる」ということでしょう。綺麗にメイクをしただけで自信が持てたという感想もよく聞きます。社会人として相応しいメイクをし、努力をすれば、自信がもてるだけでなく、社会人として相応しい人に成長できるのです。人間は社会的な動物です。つまり、就活メイクの存在理由は 「社会に向けた自分の顔を獲得するため」といえるのです。

撮影の準備・服装について

フルメイクをご予約の方は、全てクレンジングしてスキンケア・マッサージから入りますので、できれば素顔のまま来ていただくのがベストです。少なくともアイライン、マスカラ等、落ちにくい化粧品はつけずにおこし下さい。また目が腫れたりしますので、撮影の前日はあまり飲みすぎないように、寝不足にならないように注意してください。できれば鏡をみて笑顔の練習を。
 服装は、新卒の一般就活についてはリクルートスーツであれば無難ですが、シャツは皺にならないようアイロン掛けをしておいてください。その他は業界によってその業界の基準があり、その上で無限のバリエーションがありますので、詳しいことは個別にお問い合わせ下さい。原則としてアナウンサーならば新人アナのイメージを基準にして下さい。その業種の先輩達をお手本にすることと、新卒ならば清潔感と初々しさを演出して下さい。
また、ディーバではカラーリストやスタイリストが常駐していますので、複数のコスチュームをお持ちになれば、こちらでコーディネートすることができます。全身撮影のある場合、しわにならないように、スカート等はお持ちになり、こちらで着替える事をおすすめします。
髪の色に関しては業界によって基準が異なりますが、現在多くの企業が日本ヘアカラー協会のスケールを採用していますので、そのスケールを備えた美容室で希望の業界を告げ、相談されるのが良いでしょう。就活に理解のないサロンではとんでもないカットや色にされる可能性があります。
全身撮影での靴は女性のばあい22~25cm位のパンプス等をスタジオに備えておりますが、一応ご自分の靴をお持ち下さい。男性は必ずご自身でお持ちください。

デジタル修整の是非について

確かに最近はデジタルで撮影して修整してしまうスタジオが増えており、これは反則だと思います。あまりに別人では意味がありません。面接に行くのは写真ではなく本人であり、さらに合格して仕事をするのも写真ではなく本人なのですから。ですからディーバではヘアメイクにこだわっており、デジタル修整は特別な場合を除いて原則的には行いません(これは就活の話で、コマーシャルではデジタル出稿が当然になっています。ですからディーバのフォトレタッチの技術は最高水準ですが、就活の写真ではあえて行わないということです)。修整をする特別な場合というのは、歯列矯正をしているが面接本番までにはワイヤーがはずれる予定だとか、昨日急に物貰いになって目が腫れたので目を大きくとか、撮影前日に打撲したとかですが、本番までには痩せる予定なので細くというのは少々微妙です。
 ディーバには元アナウンサーだったスタッフが2名ほどおりますので、局の方をはじめ業界の関係者とお話することが時折あるのですが、そのような機会には「うちはデジタル修整しませんので、安心して写真を信用して下さい」と力説してきましたし(ディーバの写真だとわからないと意味がないのですが)、テレビから取材を受けるときにも必ずこの事を訴えてきました。
 実際、現役のアナウンサーの人も努力してメイクを勉強し、社会的な顔を作っているのであって、その努力は誉められこそすれ非難されるべきものではありません。アナウンサー試験はビューティーページェントではないのですから。ヘアメイクは身だしなみでもあり、それを正しく学び、心からの美しい笑顔が伴えば、すべての女性は華やいで、美しいと思います。ですからディーバはヘアメイクの重要性を提案しているのです。

スナップ写真とはなにか

最近就活でもスナップ写真を求められるケースが増えてきました。スナップ写真とは何か、何故それが求められるのか、どのように対処すべきかを考えてみましょう。

★「スナップ写真」とは。業界で慣用的に使われる場合はスナップサイズの写真のことです。写真館では台紙に入れるような引き伸ばした写真ではなく、手札(正確に言うと今はこの大きさのサービス版はありませんが)サイズの写真を言います。ですから一般の写真館でスナップ写真を頼むとスタジオ内での撮影で、しかも古典的なポーズのサービス版の写真が渡されたりします。これは屋内、屋外を問いません。
また、歴史的に言うと、カメラの発達に伴って、比較的小さなカメラで時間をかけずに、簡単に撮った写真を指す場合があります。これも屋内、屋外を問いませんが、ストロボが使えるようになる前は、暗い屋内ではよく写りませんから屋外のものが多かったわけです。必然的にあまり構えない日常的な写真が多く残されました。
一般的にはこれらを総合してどこか日常性の感じられる自然なサービスサイズの写真を、スナップ写真と呼ぶ場合が多いと思います。
以上の点を踏まえると、単にスナップ写真という指定の場合は、写真館やスタジオ内の写真で全くOKです。ただし「スタジオ撮影でないもの」という指定がついた場合には、勿論、自宅室内でも良いのですが、できれば屋外で撮影したような、あまり構えていない日常的で自然な雰囲気の写真が良いと思います。

最近就活でスナップ写真が求められるのは、この日常的な姿を見たいという採用者側の目的があるわけです。それは何故かと言いますと例えば、アナウンサー受験とか、CA受験とかは、以前は自分達で撮ったスナップ写真が普通だったのです。ですからそんな中で、スタジオでちゃんと撮ったものは、お金もかかりますし、きちんとしている、やる気がある、などと評価されたものです。勿論、現在でもそういう見方は健在ですが、アナウンサー受験やCA受験では、現在スタジオで撮影する人がむしろ一般的になってしまいました。そこにはプロの演出が入るわけですから、大抵は、普段よりも良い状態で写っていますので、採用者側は騙される事がしばしばです。これは実際、採用担当者の方々とお話していて言われる事ですが、「ディーバさんの写真を見ると、全員呼びたくなってしまうので困るのです」というのです(これは本当の話です)。普通だったら写真によって一次書類審査で落とすので当然呼ばなくて済んだ人を、面接に呼ばなければならなくなり、手間が増えて迷惑だというのです。ですからプロの演出がなるべく入らないもので、駄目な部分がはっきり写っている写真が見たいという訳です。勿論、エントリーシートの中身が大切なのですが、アナウンサーやCAの試験は競争率も高く、はっきり言って落とすための試験という要素が強いのですから、上記のような観点も当然出てくるのでしょう。
しかし、あくまでも私達は受験生であるお客様の味方ですから、何とか皆様が面接まで進むお手伝いをしたい、パーソナリティーで勝負してもらいたいとの願いのもとに、スナップ写真も、技術を尽くし誠心誠意、撮影してきました。その結果、局内定者、エアライン内定者の多くがディーバのスナップ写真を担当者にほめられましたと報告してくれています。
これまで、ディーバでは、皆様がお持ちになったスナップ写真の診断を無料で行ってきました。その経験から言いますと、あまりに「正直」に「普段通りの自分」を写した写真で書類通過のプラス要因にできる方は、むしろ非常に少数だというのが事実です。単純に技術的な失敗、杜撰な性格を露呈してしまった背景、下品なメイク、ジャラジャラのブランド品との記念写真、そして綺麗に撮れているようでも「私は女優」状態の勘違い写真まで。「敵」の術中にはまってしまったスナップ写真のなんと多いことでしょう。素人の方ほど簡単に考えるのですが、スナップ写真は意外と撮影するのが難しいものなのです。
何をしたら駄目かを知った上で、その人の良い面、魅力的な面を自然に表現するには、むしろ周到な計算が必要になってきます。何気なく立っているだけに見えるような写真でもディーバが撮る場合は、隅々にまで気を配っています。

では、どのようにすれば良いスナップ写真が撮れるのでしょうか。一口にスナップ写真といっても分野によって、全くその技術も感性も異なります。CA受験用の場合、アナウンサー受験の場合、女優の場合、モデルの場合、お見合い用の場合、等、これら各々には全く異なったコンセプトと技術とが必要なのです。
次回からは、各々の分野についてそのエッセンスを詳しく述べていきたいと思います(企業秘密の部分もありますので具体的なことは、撮影予定の方に限りお問い合わせ下さい)。ご期待下さい。

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